心の金持ちになりたい、幸せな日々を送りたい、だから

日々の生活の中で心の金持ちになる為の心の在り方を考えています

相田みつお師の言葉に生かされる

具体的に動く今とは

それまでどういうことを
やっていたとか、

過去の実績がなんであるとか、
どれだけの本を読んできたとか、
そういうことではなく、
その時、その場で具体的にどう動くか。

横田南嶺(よこた なんれい)師の言葉

出典元
月刊致知 2017年5月号
p.11「相田みつをの残した言葉」から

 

解説1:心を鍛える

 

 

人は突発的な出来事や未体験な事、
追い詰められた時などに
その人の本性が現れます。

 

それは決して恥ずべきことではないし、
隠しておく事でもありません。

 

しかし、得てして人はそのような時に
決定的なミスを犯したと
思いがちでもあります。

 

後で、よくよく振り返ってみると実は、
人生を踏み外したかのように
思えた自らの行動であっても、
周りからすると大したことではないのです。

 

それでもある人はすでに解決した事でも
昔の失敗を思い出し、
心臓が激しく動悸を撃つ人もいます。

 

それほど「いざという時」
行動が出来るかは日々、
冷静で的確な判断が出来るように、
研鑽しなければならないのです。

 

そのために必要なことは、
心を鍛えるという事です。

 

ある意味ストレスに
強くなることでもあります。

 

その為に訓練することは
「失敗をする」ことです。

 

その「失敗」をそのままにせず、
必ず挽回または別の時に成功したことを
周りに知らしめることです。

 

「失敗」を放置する癖をつけると
自分に自信がなくなり、
何をするにおいても
臆病になり常に周りの視線が気になります。

 

そして弱気な身持ちが勝り
「いざという時」
逃げ出したくなるのです。

 

逃げる癖をつけると
自分の望むことが何一つ
手にすることが出来ません。

 

「願望」「夢」「目標」全てが、
「何となく出来たらいいなァ」
と最初から諦める心に
満たされてしまいます。

 

そうならない為にも、
「いざという時」には、
下がりたい気持ちをぐっと押し殺し、
遮二無二、立ち向かう心を
養わなければなりません。

 

心を鍛え、前向きに物事を捉え、
命まで取られることはないのですから、
ドーンと来いと構えればよいのです。

 

気づいてみれば

 

やっぱりその時どう動くで、
自分の事は全く考えず、
誰かのお役に立てればよいという思いで
具体的に一歩動いたことによって、

人間が変わることを実感しました。

横田南嶺(よこた なんれい)師の言葉

出典元
月刊致知 2017年5月号
p.17「相田みつをの残した言葉」から

 

解説2:忘己利他の心を持つ

 

 

 

自己欲求のまま、
ただ満足感を得るために
動いてもそれは一時的な満足でしかなく、
況してや周りがその影響で
良くなる訳でもないなら、
誰も喜ばないでしょう。

 

仲間なら「ああ、良かったね」位の声を
掛けてくれるかもしれません。

 

80年以上前の日本人は、
「自分のため」という気持ちと
同時に「他人のため」
動く気持ちを持っていました。

 

穏やかで平和に暮らす方法の一つとして
昔の日本人は
「相手を第一に考える」
ことを実践していました。

 

今でもその名残として、
自宅前の道路だけでなく、
お隣近所を掃除される方を見受けられます

 

そうすることで、
隣近所や世間、
更に社会全体が、
安全に暮らしていけたのです。

 

そうは言っても、
人間困れば自分が可愛い故に、
自己保身に走るものです。

 

ある意味、精神的バランスを
崩さないために
致し方ないことではあります。

 

特に現代人は、
「他人に迷惑な事でも省みず」
「自分さえよければ周りは
どうなっても知らない」

そんな気持ちを持つ人が
増えているようです。

 

実に、心が貧しくなったものです。

 

自分の生活を壊してまで、
人のために尽くせとは言いませんが、
もう少し気持ちに余裕が
あったらなぁと思います。

 

人生のまさかを乗り越える

人生にはいつまさかの時が
来るか分かりません。

そういう事態に直面した時には、
まず最悪を覚悟する。

そこから冷静に状況を把握していって、
自分を守ろうとするのではなく、
どこまでも公平に、
むしろ弱さを曝け出す。

やっぱり弱さを自覚していることが
一番だと
思うんですね。
(中略)

剣の修行を十年やると自分の強さが判る。

さらに十年やると相手の強さが分る。

さらに十年やると自分の弱さが分かると。

私は自分の弱さを分かる人こそが、
人生に降りかかってくるあらゆる
「その時」に
本当に負けない人だと
思います。

横田南嶺(よこた なんれい)師の言葉

出典元
月刊致知 2017年5月号
p.17「相田みつをの残した言葉」から

 

解説3 
自分の弱さを自覚する

 

未だ十代で親の保護下で暮らしている時に、
自分の人生が追い詰められることは
ないと思います。

 

しかし、親から離れ独立した生活を営み
社会に適応していると時には、
重大な決断を迫られたり、
思いもよらぬ禍に巻き込まれたりします。

 

それが自ら招いたことであるならば、
適正に対応して
解決していかなければなりません。

 

特にお金に絡んだ問題は、
自身の社会的信用にかかわるので、
安易に逃げることは、
決して許されることではありません。

 

また、直接関わりのないことに、
巻き込まれる多としても
冷静に状況を把握して
自身の関与を否定できれば
良いのでしょうが、
なし崩しに責任を
負わされることもあります。

 

何らかの問題で追い詰められた時、
経験した事のない問題に直面した時などに
その人の本質が表に現れます。

 

その時どう動くかで、
その人の真の強さ弱さが分かるのです。

 

もし、弱い自分を自覚しても
恥じることは何もありません。

 

今まで、気付かなかった新たな面を
自覚することは自分の新しい強さを
見つけたことに繋がるのです。

 

その様に考えると
弱さち強さは「表裏一体」
捉えることが出来ます。

 

自分の弱さを知っているから、
いざという時にどう動けばよいのか
事前に予測できるのです。

 

人生の勝者とは、自分の弱さを知り、
その弱さを強さに置き換えたものだけに
送られる称号なのです。

 

弱さを知ることは、
その弱さに引きずられるのではなく、
弱さに負けないで算段が
できるようするために
己を知る良いチャンスと捉えましょう。

 

思考家 明徳義道 記す

我慢から精神力は鍛えられる 常岡一郎の言葉 

 

その時どう動く


 

 

出されても、達磨は転がっていく。

そして、踏み止まったところで
すっくり立ち上がる。

その重心が重く、
低い所にあるからである。

人もそうである。

どんなところに投げ出されてもよい。

行き詰る。

止まったところで直ぐ
立ち上がれる人にならねばならない。

そのためには
徳を積み上げていかねばならない。

力に満ちた、低い、
豊かな魂のひとにならねばならない。

出典元
月刊致知 2017年5月号
P.9 「その時どう動く」 から

 

覚悟ある人は
まさかを越えて行く人

人生において、
「覚悟を決める」時って
そう多くはありません。

 

学生が卒業して、社会人になる時、
仕事を任されて結果を求められる時、
結婚、離婚をする時、
子供が生まれて親としての
責任を自覚する時、
難病や不治の病にかかったと判った時。

 

人それぞれ、「覚悟」を自認する時の
置かれている状況は違います。

 

「覚悟」は、短時間で求められる時や
長い時間をかけて、自分に言い聞かせて、
奮い立つ時と千差万別、
その時々で決めていくものです。

 

 

中には
(というより多くの場合かもしれませんが)
みっともなくじたばた、
右往左往して決められない人々も大勢います

 

この様な人は「腹が座っていない」のです。

 

この傾向は優柔不断な方に
よくみられるかもしれませんね。

 

「覚悟を決める」には、
精神が鍛えていなければなりません。

 

逆境に生きる

 

如何に「精神力」を鍛えたかによって
「覚悟」は決まります。

 

中学生、高校生、大学生と過ごす中で、
スポーツをして鍛える人もいます。

 

またま家が貧しくても、
親が明るく子と接し
苦労を楽しんで逆境に
強くなる人もいるでしょう。

 

「精神力」は自分一人では、
鍛えることも訓練することも
難しいものです。

 

その時の状況、置かれた環境、
自分の能力これらが、複雑の絡まった中で、
追い詰められ、我慢を強いられ、
漁火のように、暗闇の中であがく。

 

あがき続けている時に、
かすかな光を見出した時、
初めて「精神力」は一段鍛えられるのです。

 

我慢の中から光明を見出す

 

人は追い詰められた時に、
何とかしようと打開策を考えます。

 

時には、仲間や周りの人たちに
助けられることもあるでしょう。

 

読書家なら書籍から、
活路を見出すこともあるでしょう。

 

映画や、テレビ、音楽や絵画から
ヒントを得ることもあります。

 

多くの事を友人や先輩、
仲間など多方面から知識を得、
人として如何に有るべきかを
知っていく過程で、
知らぬうちに人は「徳を積んで」いきます。

 

この「徳を積む」ことが、
更なる問題がいくら起きても
心に余裕が生まれ、
慌てることなく冷静に状況を分析し、
しかるべき対応が出来るようになります。

 

これを「経験」と言います。

 

「経験」は実際に体験したことから学んだ
ものが、自分の自信につながる貴重なものです。

 

「失敗」「経験」の一つです。

 

「失敗」を重ねることは、
「成功・問題解決」
より近づく事なのです。

 

「失敗」は時間の無駄とか、
恥ずかしいことと思わず、
前向きにとらえる心構えを
学ぶチャンスと思いましょう。

 

 

我慢を忘れた現代人

 

 

平成に入り目立ってきたと思われることに
入社して1か月もたたないうちに
退職する人がいることです。

 

面接時の時の話と
実際に勤務してみた時と
格段に違う事はあります。

 

ただ、辞めることを
選択した人の中には、
自分中心の考えの方がいるようです。

 

社会経験ゼロの新卒の方が、
「自分の肌に合わないから」
と言って辞めるのは、
只々子供の戯れ言にしか思えません。

 

「石の上にも3年」という言葉があります。

どんな辛い会社でも(本当のブラック企業は除く)


3年いれば、独り立ちできるものです。

早ければ、1年で仕事の内容を把握し、
自ら仕事を作り出す知恵さえ
持ちうるのです。

 

しかし、我慢を知らない多くの方は、
簡単に退職していきます。

 

現代はいくら若くても、
前職を短期で辞められる方に対して
採用を躊躇し用心します。

 

更に退職を繰り返せば、
就職の道がどんどん狭まり、
最終的にはどこも雇ってくれなくなります

 

会社側の考えとして
採用してもすぐに辞められる方や
即戦力にならない方に対して
座学や研修という費用が掛かる事もあり
会社側はすぐ辞めそうな新入社員に
無駄な経費を掛けたくないものです。

 

これから、就職や再就職をされる方は、
じっくり考えて安易な退職を
されないことを望みます。

 

そして、安易に退職を繰り返す方は、
社内で信用を得られるまで
仕事を任される事が少なく、
万が一責任を負わされたり、
問題が発生すると右往左往して
周りに迷惑を掛けたりします。

 

中には、「どうしよう、どうしよう」と
頭をかかえ放置したまま、
時間に任せて何もしない人もいます。

 

この様な人は一時的に
問題から逃げられたとしても、
更に複雑でより難しい問題に
ぶち当たってしまった時は、
また逃げて問題を先延ばしにするか、
責任をだれかに押し付けるか、
最悪精神を病んで自らの命を絶ちます。

 

この世の中で生きている限り、
自分の能力より
過大な問題が起きたとしても、
必ず道は開けるのですが、
残念なことに最後の逃げ道に
迷い込む人がなんと多いことか。

 

ちょっとの勇気と耐える事を知っていれば、
身内家族友人、仲間を悲しませることを
避けられたはずです。

 

そして、他人との信頼関係を構築し
いざという時に相談しすることで
問題解決の道筋が出来るものです。

 

一歩と言わず半歩踏み止まり
深呼吸をしたのち、
問題点を具体的に洗い出し、
客観的に俯瞰すれば自ずと
解決策が見えてくることもあるのです。

 

時にプライドを脇において
本音で友人、目上の人にぶつかって
悩みを吐露することも大事な事です。

 

あなたの周りには必ず、
救いの手を差し出す人がいるものです。

 

常岡一郎氏について

日本の政治家
宗教家
文筆家として活動しました。

 

青年時代に結核を患い、
闘病生活を送りました。

 

その時に天理教に入信し、
宗教活動を行う生活を送ります。


後に天理教の地位向上の活動に
励み貢献しました。

 

著書も出版した他、
養護施設中心学園、
養護老人ホーム中心荘を
経営して社会福祉に貢献、
健康学園を創建しています。

生年 1899年(明治32年)1月12日
没年 1989年(昭和64年)1月2日

 

常岡一郎一日一言 (致知一日一言シリーズ)

 

思考家 明徳義道 記す

人生に明かりをともす名文、名詩を読む

歳を重ねてから

 

歳を重ねてから名文、
名詩などを一所懸命に読むのは

とても意味のあることだと思っています。

それは一言で表現するのは
なかなか難しいのですが、

六十代で分からなかったことが七十代で分かり、
七十代で分からなかったことが、
八十代、九十代で分かるということが
実際ありますからね。

そこにある素晴らしさに開眼すると、
その奥にある神様の恵みというものが
はっきりと見えてくる。 

出典元
月刊致知 2021年3月号 P.18
「我が人生を導いてくれた古今の名作」
鈴木秀子氏との対談内での加賀乙彦氏の言葉

 

解説:この言葉から教わること

本の良い所は、繰り返し読み返し、
新たな発見や再度感動、
感銘を受ける事ではないでしょうか。

 

私も小学校6年生の頃に親から頂いた本を
50年以上たった今現在も大事に
保管しています。

 

20年前30年前から
所蔵している本もあります。

 

10代後半や20代の時に読んで、
著書から教えられたことは、
今現在、物事の判断の基本と
なっていることもあります。

 

また、それ以外に現代の知識人から
教えられることも多数あります。

10年前と10年後では違う理解に目覚める

 

 

現実生活や会社人の時に接した
多くの人からも実に多くのことを
教わりましたが、読書習慣を持っていると、
実生活で知り合う人より
はるかに多くの人々の考えに
触れることが出来ます。

 

そして本の良さは廃棄しない限り、
時に触れ、折に触れページを開くことで
忘れていたことを思い出させ、
初読時に味わった解釈と違う、
更に奥深い意味を行間から
発見することがあります。

 

10年前におかれていた自分の環境と
10年後の今の自分は同じような解釈をするとともに
時間の経過の中で重ねた経験から
更に視野が広がり、新しい事に気づかされるのです。

 

時の流れを無視する名文、名詩

 

 

書店の大小に限らずビジネス本の
コーナーに行くと古代中国の哲人たちの
言葉を元に書かれた書籍を多く見受けます。

 

また、詩歌のコーナーでは明治時代から
昭和までの詩人、俳人の書籍を
見つけることが出来ます。

 

さらに、個人名を冠した美術館に行けば、
その方の残された多くの著書に
触れることが出来ます。

 

時代は、機械の発達により、
多くのものごとの処理速度が上がり、
その事に人が振り回されているにも拘らず、
多くの人は問題解決に古の哲人の教えに
答えを見出そうとしています。

 

その事は間違ったことではないですし、
人の感情や行動は、基本的な部分において
大きな変化はしていないようです。

 

ただ、便利と思える道具に囲まれているので
人は進化していると勘違いされているのでは
と思ってしまいます。

 

時の流れに関係なく、現代の哲人、
歴史の彼方にいる哲人の言葉や
詩、俳句、名言が人の心に寄り添い、
生きる方法を照らしてくれることに
気付き感謝する気持ちを忘れず、
不定期にでも読み返されることを
お勧めいたします。

 

思考家 明徳義道 記す

一隅を照らす光とは

一隅を照らすその第一歩

以前、私が務めていた会社に、
社長の知り合いで
途中入社された方がいました。

 

その方はちょっと
変わった方でして、

周りの影響をあまり受けず、
ひょうひょうと仕事を

こなされる方でした。

 

私が務めていた会社は、
社内では土足厳禁の会社で、

出社時や外回りから帰社すると、
靴を脱ぎスリッパや
サンダルに履き替えて

自分のデスクに向かうものでした。

 

その方が入社されてから、
まず始めたことは

玄関で脱いだ靴を
そろえる事でした。

 

それまでは複数の男性社員は、
脱いだ靴は
そのままそろえる
という事は全くしませんでした。

 

私も揃えることはしませんでした。
(とは言っても左右の靴が
とんでもない方向に
脱ぎ捨てることはしませんでしたが)

 

やがて、
彼の何気ない行いに社長が気づき
その事を朝礼で話しました。

 

だからといって、
社長は社員に強要することは
しませんでしたが、

一人また一人自然に靴を
揃えていくようになりました。

 

たった一人のこだわりから
始まったことですが、

些細な事でも、
周りがその習慣を
受け入れていくことが

社内の殆どの人に伝播し、
やがて社風として
習慣化されていきました。

 

「一隅を照らす灯」とは、
この様な変化を
齎してくれます。

 

最初は見えないくらい
わずかな灯かもしれませんが、

徐々に広がっていくことで
全体的に明るさをはっきりと

認識できるようになるものです。

 

そして「一隅を照らす灯」には
誰でもなれるものです。

 

気持ちの在り方

 

「兎角この世は住みにくい」
といったのは夏目漱石でしたが、

現代社会のような複雑な
社会構造の中で生きている
私たちには
中々
自分の思い通りにならず、
却って他人や社会に
振り回されることが多いものです。

 

この生きにくい世の中であっても、
心の在り方で物事や
周りの人を変えていくことは

不可能な事ではありません。

 

前向きな気持ちを持ち続けて、
日々過ごすことで

少しづつではありますが、
環境や結果が変わっていくものです。

 

本当に解決したい問題が、
思い通りの形に現れないとしても、

諦めず弛まぬ努力と
前向きな向上心の灯りが
消えなければ、
自ずと願望実現の道筋は
作られていくものです。

 

ただ只管頑張っている姿を
見て貰おうとは思わず、

わき目も降らずに一心不乱で
もがいている姿勢、努力は

いつの間にか周りにも伝わり、
誰かが背中を押してくれる
こともあります。

 

「一隅を照らす灯」
になるというのは、
そういうものかもしれません。

 

周りの援助を期待しているばかりでは、
周りは協力的になることは
ないでしょう。

 

自分の所属する部署や
プライベートな環境を

変えたいと望むなら、
見返りを求めずまず自分自身が

動かなければ周りを
前向きな気持ちにさせることは
出来ません。

 

「一隅を照らす灯」
照らすとは
自分を変える事でも
あるのです。

 

思考家 明徳義道 記す

 

お勧め書籍

 

 

 

人生どう生きるか

人生どう生きるか


 

 

出典元
月刊致知 2017年5月号
P100 「二十代をどう生きるか」より

この言葉で思ったこと

年齢を問わず、私たちは常に他人と
協調しながら生きています。

 

それは例えば、学校だったり、会社だったり
隣近所の人たちと交わることで
関わり合いを持ちます。

 

そりゃ、中には馬が合わない人もいますし、
性格的に無理って人とも言葉を
交わさなければらない事もあります。

 

親しくなれば、個人的なことも
話題になるだろうし、
頼まれごともあるでしょう。

 

ここで、良く嫌われるタイプの人は、
一方的に頼みごとをして、
断ると逆切れしたり、
頼まれごとを相手の希望通りでないと
プチ切れられたりします。

 

誰にでもいい人でいる必要性はないのですが
他人に依存する生き方は、周りにとって
不快な存在になるだろうし、
自分自身のためにはなりませんね。

 

少なくても、安易に人を頼るのではなく、
出来るなら自分で解決する苦労をすることで、
人生経験が豊かになるものです。

 

「私は独りで生きていくんだ!」
言っているわけではありません。

 

問題が起きた時に、
自分の引き出しが多い方が、
早く解決しますし、
周りの信頼度もアップするでしょう。

 

何よりも、精神的に強くなるし、
問題解決の技術も身に付くので、
プラスな事ばかりです。

 

心が鍛えられた強い人には、
多くのチャンスや出会いが
巡ってくるものです。

 

人の悪口を言わず、

前向きなプラス思考で
生きる人には、

必ず天の良き采配があります。

 

思考家 明徳義道 記す

長所を伸ばせば短所は自然と見えなくなる

努力が人を成長させる

 

 

人間は会社には入っていろいろな部門を歩くわけですが、
その人特有の長所を生かせるような配置をしてあげたら、
かなりの力を発揮できる人間が育つし、
それがその人の幸せにも繋がると思うんです。

会社ではどうしても部下の短所ばかり改善しようとするけれども、
長所が伸びれば短所は自然と見えなくなる。

出典元
月間致知 2017年5月号 P.102
「何かに向かって努力する時、
人は育つ」
梅島 みよ氏の言葉

 

この言葉から教わること

 

 

会社勤めをしていると判ることですが、
現実的な事を言えば、適材適所に人材を
配置することは余りないのではと思います。

 

特にブラックうんぬんと呼ばれている
会社は、その人の長所、短所を
見る事が無いようです。

 

 

しかし、
そのような状況下においても
社員のあら捜しが通常行われている
会社と常に前向きな言動で元気を
与えてくれる会社では
長所を伸ばすことにおいて
雲泥の差が出ています。

 

社内で同僚や部下上司を悪く言う会社は、
その場の空気も悪く、
精神的にも良い環境とは言えません。

 

当然、中にいる人も目つきや
表情も悪く、疑心暗鬼の塊と
化しているものです。

 

悪いことに、常にいびる相手を
探しをしていることもあり、
社内の雰囲気は最悪と言えるでしょう。

 

その逆の環境の場合は、
出社した時朝一番から、
社内の雰囲気は明るく、
やる気が充満しているものです。

 

この様な職場にいると、
定時に帰る気持ちより、
もっと仕事がしたくなるものです。

 

この事から、人は置かれた状況次第で
どのようにでも変わる

 

長所短所は環境で変わる

 

 

「長所、短所」は性格によるもの
ではありますが、
先天的や後天的、好き嫌い、
直感で合う合わないなど
複合的な要素で決められるものかと思います

 

成長や生育環境、体験から得る経験や知識
好きなもの苦手な事が
加味されてより明確化されるものです。

 

しかし、厄介なことは
「長所、短所」は自分で
判っていることより
他人から見た判断が
的確な場合が多いことです。

 

特に新社会人が就職活動を
していると必ず、自分の
「長所、短所」を聞かれる事が
あります。

 

面接官の質問に対して的確に
答えているつもりでしょうが、
時に「こうなりたい自分」
口頭で伝えていることがあります。

 

ベテランの面接官はこのような
回答を聞いた時、その人を
採用するか否かを
見通していることもあります。

 

そして面接による評価において
マイナスポイントとなります。

 

それを避けたいと思われる方は
親しい友人や身内に教えて
貰った方が良いでしょうね。

 

それほど、「長所、短所」
客観的に自分で判断するのは
難しいことなんですね。

社会と触れ合う事で長所・短所は変わる

 

 

この世界を構成している現実の
あらゆるものには、
表と裏が存在していると
考えられています。

 

そう考えると「長所と短所」
互いの表裏と捉えることも出来ます。

 

しかし、そうでない場合も
あり得るかもしれません。

 

「長所」「短所」が夫々
独立していることも
あり得るということです。

 

人は単純に物事を捉えがちではありますが、
少し視野を広げて表裏一体でありながら、
単体で独立していると考えた方が、
自分を縛り付けなくてよいかもしれません。

 

また、「長所」を伸ばしたいと
思っていても、マイナスイメージが強すぎて、
自分自身や置かれている環境を
悪く捉えていると伸ばしたい
「長所」より「短所」に意識が向いて、
いつまでたっても「長所」
伸ばすことが出来ない方も
見受ける事があります。

 

一人では無理なことも、
周りの人間関係や環境で「短所」
変えることは可能です。

 

その為には、まず、自分の事より、
「人の為に」動くこと。

 

「自分が、自分が」という人に
周りは気を使ってくれても
適当に流され、協力的ではありません。

 

それよりも、自分をさて置いても、
人の為に動く人に対して、
他人も何とかしようって気持ちが
動くものです。

 

だからといって、他人を利用しようと
考えてはいけません。

 

あくまでも、「忘己利他」の精神で
動き続けることが大事です。

 

日々、そのように活動を続けていると、
いつの間にか「短所」を気にすることを忘れ、
知らないうちに「長所」
伸びているものです。

 

確かに、不特定多数の人の中には、
あなたの気遣いを
利用しようとする輩はいるでしょう。

 

もし、そのことが分かったとしても、
あからさまに態度を変える必要はありません。

 

少しづつ距離をおいていき、
そのような人から離れることです。

 

意識的に、自分や周りに悪影響を
及ぼすような存在とは離れることです。

 

それが不可能であるなら、
意識的に距離をおきましょう。

 

「長所」を伸ばす機会を損なう存在は
プラスにならないからです。

 

「長所」が伸びていくと自然と
「短所」が気にならなくなります。

 

また、「短所」「短所」
なくなることもあります。

 

常に明るく、感謝の気持ちを言葉に
表す習慣を持ち、「天使言葉」
口にし続けることで、周りもあなたも
ストレスの少ない環境になっていくのです。

 

「長所」を伸ばしたいなら、
前向きな気持ちを持ち続けることが大事なのです。

 

思考家 明徳義道 記す

誰かのために動く時不可能が可能になる 

人間の命は輝く

 

 

不可能は可能になるものなんですよ。
これは命懸けでやってみないと分からない。
-中略-
自分が欲さえ持たなかったら、
やったほどのことは必ず自分に返ってくる。
だから、どうか
「こんなことをして何になるだろう」などとは
思わないで、誰かのために何かをやって頂きたい。
それが一番の願いですね。

 出典元
月刊致知 2021年5月号 P.11
「誰かのために生きる時、人間の命は輝く」から
高橋恵氏との対談内での塩見志満子氏の言葉

 

 

解説:この言葉から教わること

 

 

誰かのために、自分の出来ること精一杯やろうと思っても、
自分なんかそれほど役に立たないと
始っから決めている人って結構多いかもしれません。

 

そんな人たちの気持ちには、完全主義っていうか
頭の中で完璧でなければいけないと思い込んでいるんじゃないかな。

 

確かに、初めてやろうとすることは、
それまでの経験がないこともあって、
躊躇う気持ちが強いものです。

 

それに、責任を持たなければいけないって
勝手に自分で決めてかかって、やらない理由を探すもんなんです。

 

自分の欲求をちょっと抑える

 

 

「あれが欲しい、これが欲しい」や
「もっと楽な仕事がしたい」、
「思い通りに生きたい」など
自分の欲求はとどまることを知りません。

 

しかし、その欲の方向性を少し変えてみると
全く新しい局面を経験することが出来ます。

 

それは、プラスな面があり、マイナスの面も経験します。

もし、欲しいものがあるなら、お金が増えれば解決します。

 

それが、給料や手当を増やすことで可能なら、
自分の成績ばかりでなく、同僚、上下関係を
手助けして会社の利益を伸ばすことにより、
給料やボーナスのアップ、臨時の手当が支給されれば良い事です。

 

結局お金目当てかと思われるでしょうが、
他人を蹴落としたり、騙したり、利用しようとするから
えげつない人間と後ろ指をさされるように疑われるのです。

 

反対に、自分を取り巻く環境のために、
他人のために一生懸命行動すると自分を見てくれる
他人の気持ちが変わります。

 

ちょっと遠回りになるかもしれませんが、
自分の欲を少し我慢することで、
自分も周りも何となく幸せを感じる世間が
貴女の気持ちを和らげてくれるのです。

 

「こんなことして何の足しになるか?」と
躊躇わずに半歩前に出ていく勇気と感謝の気持ちを持てば、
必ず幸福になれるのです。

 

思考家 明徳義道 記す