心の金持ちになりたい、幸せな日々を送りたい、だから

日々の生活の中で心の金持ちになる為の心の在り方を考えています

安岡正篤に学ぶ 4 低次元の精神が及ぼす影響

 

人間の精神が低いと

 

人間の精神と云うものは、
それが低い場合には何かに衝突する。

 

出典元
イースト・プレス
安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉より

 

人の顔つきを変える事とは

 

 

「人卑しければ、顔つきも汚し」

人の顔つきというものは、
その置かれた環境で
穏やかな顔つきだった人も、
他人を妬み、恨み、信用しなくなると
何時しかとても醜い顔つきになります。

 

朝や夕方のニュースでも、
近隣同士の殺人事件を
取り上げたり、
あおり運転を映像で
流したりしています。

 

また、幼稚園、保育園の新築に
難癖を付けて反対する人も
増えています。

 

問題行動を起こす人に
見られる共通点として、
「自分さえよければ」
「気に入らない」

「バカにしている」
等の自己中心的な言動です。

 

ほんの少し互いに譲る気持ちがあったら
起こさないような事でも、
自分を優先するあまり、
他者を排除しようとする気持ちが
強く湧き上がる結果なのです。

 

 

現代の日本人が失った感情

70年以上前の日本人は、
世間との付き合い方の基本を
「お互い様」という気持ちで
社会を形成していました。

 

 

この考え方は、
ケンカをした時は、
互いに問題があるので
引き分けるという結論に
落ち着いたものです。

 

昔は困っていれば
互いに助け合ました。

 

現在のように
武漢ウィルス」の変移種が
拡散し多くの零細、中小企業、
個人店が大変な苦労を
背負わされていても、
昔なら
「大変なのはお互い様」
と語り合い励ましあったものです。

しかし、
現代は他人のことなど
構っていられない。

 

自分さえよければという精神が
横行しいたるところで摩擦や衝突、
ケンカが起きています。

 

また、商店の看板を壊したり、
強盗も増えています。

 

現代人が如何に心貧しく、
我慢が出来ず低次元の精神に
陥って這い上がる事すらできません。

 

これは、
人間教育を怠ってきた故の
現象なのです。

 

「心を鍛え」、
「自他共栄」
「忘己利他」
の精神を学ばなければ、
更に日本国の治安は
悪化していくでしょう。

 

そうならない為に
手っ取り早く出来ることは、
些細な事でも、
たいそうな事でも何にでも
感謝する言葉を
口に出すことです。

 

小林正観 師」
「有難う」の言葉を
「自分の年齢」×1万回 
声に出して言い続けると
自分が変わるとご著書の中に
書かれています。

 

私も実際やってみましたが、
10万回を超えると心の内から
とても強い感動が
湧き出でる事を実感しました。

 

当然顔つきも穏やかで、
周りからは高評価でした。

 

感謝の心を常に持ち続けると
気持の在り方が変わり、
行動が変わります。

 

そして、
習慣が変わり、
周りも変わり
穏やかな環境が
出来上がってきます。

 

その様な環境では、
いさかいもなく、
誰かのためにという気持ちが
自然発生してきます。

 

その輪が広がれば、
世間が変わり、
日本がかつて
過ごしていた平和な社会に
戻っていくのです。

 

私は信じています。

 

きっと日本国、日本人は
本来あるべき日本人の姿を
取り戻すと。

 

 

思考家 明徳義道 記す

 

おススメ書籍

 

 

 

人生の半分は辛抱、禍福は糾える縄の如し

手でつかむ

喜びを手にする

成長と共に味わう「苦」

人として生まれて、
幼稚園や保育園に通い、
やがて小学校から中学校、
高校と成長と共に
協調性や社会との関り合いを学ぶ関り合い、
自分のやりたいことが出来た幼児期とは
違うことを覚えていきます。

 

それに伴い、我慢も覚えていきます。

 

成長するにつれ、
我慢することの苦しさも何時しか知り、
苦痛を感じストレスとして
心の内側に溜め込まれていきます。

 

育ち方で変わる

 

幼少期から親のしつけで
我慢することを覚えていると
苦に感じることも、
自分を鍛える試練と捉え、
何とかこれを乗り越えようと
努力する人がいます。

 

その逆に、
甘やかすばかりの親に育てられた子は、
「我慢=苦」に耐えられず、
その苦しみから逃れようと
逃げることを覚えます。

 

しかし、
いくら逃げを打つことばかりしていても、
苦というものはあらゆる形に変えて、
自身を追い詰めていくものです。

 

苦から逃げる人も、立ち向かう人も
人間社会に存在している以上誰でも
形こそ違うとはいえ、
その苦から逃れることは出来ません。

 

人生は四苦八苦

ですが、
苦から一時的に出会っても
解放されることがあります。

 

それは、
嬉しさを感じること、
幸せを実感できた時、
人はそれまでの苦労を
忘れ去ることが出来ます。

 

幸福感というものは、
苦しみを一瞬で消しさることが
出来るのです。

 

そして、
一度でも味わった幸福感を求め、
苦に対して「なにくそ!」と
強い意志で前向きに対峙し
必至に生きる人だけが、
幸せを満喫できるのです。

 

立ち向かう意思も持たず、
「どうせ自分なんか」と
弱気な気持ちを持ち続けていると
やがて他人をひがみ
恨むようになる場合があります。

 

さほど強くない艱難辛苦ですら、
他人から迷惑を掛けられていると
思い込むようになると苦しみが
一層倍増されます。

 

やがて、
自分の周りの人、
誰も信用できなくなり、
孤立してしまうこともあります。

 

 

苦労を楽しむ

 

そうならない為にも、
今置かれている状況に我慢しながら、
負けない心でくらいついていくと、
何時の間にか自分が
苦しみから解放されていきます。

 

苦しみに打ち勝った人の周りには、
何時しか人が集まり、
自分が先頭に立って
風を巻き起こすことも可能になります。

 

その立場に立つと苦を感じなくなり、
更なる前進に気持ちが動き、
活動することが楽しくなります。

 

旭化成の会長を務めた
「宮崎輝」
「苦労を楽しめ」
という言葉を残しました。

 

「石の上にも三年」

辛抱の先には深い喜びが待っているのです。

 

思考家 明徳義道 記す

 

 

お勧めの書籍

 

 

 

 

 

人生で最も大事な事

動物として

動物として生きて行くなら、
「食べる、排出する、寝る」
これだけ出来れば、
良いのであって人間が理性を
持つ動物であっても大事なことです。

 

しかし、
動物と人間の最も違う点は、
人として生きて行く上で、
理性ある行動を求められ、
社会を構築して行く上でのルールを守り、
安易に他人を貶めないことを
要求されます。
(輪を大事にする日本人の
考え方ですが)

 

その為には、
理性を育み、
協調性を学び、
経験と知識を
蓄えることが必要です。

 

他者との関わり合いの中で、
大事なことは「自我欲求」
満たす為だけに活動することを
時には最優先するのではなく、
他者との共存
「自他共存」の精神を実行し、
安穏な世間を作り上げることです。

 

自分が一番大事なことは、
ある意味当然なのですが、
自己中心の姿勢を示すことは、
時に周りの反感を買い、
その事であらゆることが
潤滑に活動することが
出来なくなり、
対人関係に悪影響を
及ぼすこともあるのです。

 

まず、
身近な他者のために最善を尽くす。

自分のできる仕事や役割は
命懸けでやりこなす。

 

他者に対しても、
世間に対しても、
「誠心誠意」
生き抜くことが、
自身に幸福を呼び込むものです。

 

人生で最も大事なことは
「感謝」
「忘己利他」
常に心に刻み続ける事なのです。

 

思考家 明徳義道 記す

 

お勧め書籍

 

 

安岡正篤に学ぶ3 時流に乗るには

時の勢いに乗る

時というものは、
機というものの連続であります。

だから、
時というものを捉えようと思うなら

機を捉えなければならない。

これは一度逃してしまえば
なかなか始末のおえないものであります。

その時が至っておるにもかかわらず、
疑って、
まだ時機が早いとか、
やれ反作用が

どうだとか言ってぐずぐずする(中略)

どうしても進歩が止まってしまう。


出典元

イースト・プレス刊
安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉
より

 

 

絶好のタイミングを見逃さない

 

「機」という感じの意味の一つに、
「  物事の起こるきっかけ」
という意味があります。

また、「機を見るに敏」
という言葉もあります。

この言葉の意味は、
「好都合な状況や時期を
素早く掴んで的確に行動するさま。」

この「機」というものの言葉を変えると、
「タイミング」「チャンス」
置き換えることが出来ます。

そして、
この「機」というものを見定めることは
簡単なようで意外と見落とすことが
多いものです。

見落とさない為には、
常にアンテナを
張り巡らさなければなりませんが、
他の仕事や雑事に
振り回されることも多く、
どうしても「絶好のタイミング」
見逃してしまうものです。

達成したい目標は
この「機」と実現可能な
「タイミング」が合わさって
事をなすのです。

見逃したと思った時は、
あっさりとあきらめるしか
ないでしょうね。

次の「タイミング」
期待するのが良いでしょう。

それまでは、
他の事に集中していれば良いのです。

絶対手に入れたい目標を忘れない事と
自分が解決したい問題の
置かれている状況の変化をチェックし、
絶好のタイミングが
来るのを待つだけで良いのです。

その時は来た時は、
「猪突猛進」
一気に突き進めばよいのです。

 

絶好のタイミングと
チャンスについて

 

 

よく言われていることですが、
「チャンスの神様」
絶妙なタイミングの時に
現れると言います。

そして
その「チャンスの神様の前髪」
しっかり握ると最高に良いタイミングで
事が成就するそうです。

でも、
「チャンスの神様」の髪の毛は
前髪しかないので、
捕まえることはかなり難しいとのこと。

「機運」を見定めないと
「チャンス」を逃してしまう事の
例えなのでしょう。

「チャンスの神様」
捕まえるために
他の事に気が回らなくなるのは、
自分を無駄に追い詰める事に
なるだろうし、
周りに何らかの迷惑を
かけてしまうかもしれません。

「タイミング」を測るアンテナが
あればよいのでしょうが、
個人の時流を見定める能力や感覚は、
それぞれ違うので
何とも如何しがたいものです。

更に「チャンス」
捕まえるために目が血走るってのも
周りに畏怖感を与えるようでいかんですね。

私はそのような時には、
かかえている問題が、
今解決できないのであれば、
その問題を記憶の片隅に置いて、
今解決しなければならない
事柄に専念しますね。

そのうち、
ほったらかしていた問題が
解決する「タイミング」
向こうからやってくるので、
その時に一気に解決に
導くよう行動します。

これは一つの方法ですから、
各自それぞれ悩みながら
自分なりの「タイミング」
つかむルールを
見つけていけば良いと思います。

思考家 明徳義道 記す

 

お勧めの書籍はこちらです

 

安岡正篤に学ぶ1 日々新たに生きる

日々を新たに迎える心の準備

「日に新たに日々に新たなり」
というのが自然の相であるから、
停滞固定は造化に反する。

我々は常に自己を
新しくしてゆかなければならない。

出典元

イースト・プレス刊
安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉
より

 

日に新たに日々に新たなり

 

 

古代中国の殷王朝初代の王
「湯王(とうおう)」はある時、
「日に新たに日々に新たなり」
毎日使う手水用のたらいの底に
この言葉を書き記し、
自らの戒めとした。と
古典「大学」に書き記されています。

 

「湯王(とうおう)」
この言葉を日に3度唱え、
自戒に勤めたと言われています。

 

それは、まるで自分の体の汚れを
洗い落とすかのように、
昨日の行いをすすぎ落し、
新しい自分を
磨き上げようと心掛けました。

日々新たに過ごす


 

この世の中は常に動き続けており、
一瞬たりとも停滞することはありません。

 

時間の流れを止めることは
誰にもできない事です。

 

私たちを包み込んでいる宇宙も自然も
時時刻刻と変化を止めることなく
動き続けています。

 

その中で、時間の流れを無視し、
あたかも止まったかのような錯覚を
覚えるのは人間だけです。

 

どのような時に
錯覚を起こすかというと、
対人、社会又は自分自身に
悩み事が有ったり、
複雑な問題を抱えると時間が
停止したかのような
思いにとらわれる事が、
ままあります。

 

また、1つの事に固執するあまり、
周りが見えなくなることも
あるでしょう。

 

 

 

拘りを軽くすること

若い頃から、固執する性格が強いと
年を経るごとにその固執度は高まり、
その事から離れなくなります。

 

これは、
良い兆候とは言えないでしょう。

 

人は問題を抱えると、
その事に意識が集中しすぎて
他の事を考えられなくなることが
あります。

 

しかし、
問題を抱えた人の周りでは、
常に変化して、
状況が変わっていきます。

 

動いている周りの状況を
すべて無視して、
自分の世界や
抱えている問題だけを
注視することは、
自分のためにならないばかりか、
周りの評価も
著しく低下するばかりです。

 

この事から社会生活の一員になると、
自分の事だけを
やればよい環境でないことを
多くの人は学び、
やらなければならない事と
やりたいことのバランスを
身に付けていきます。

 

「拘り」に関わることは、
悪いこととは言いませんが、
固執する必要がどれだけあるか、
状況を鑑み判断することが
社会を構成する一員として
自覚しなければなりません。

 

時間の流れの嗜好中で
変化する状況を

「時常に新たなり」捉えて、
思考し行動することを
考えて頂きたいと思います。

 

時常に新た、日新たに、
日々新たなり


起きたその瞬間から、
一日が始まります。

 

その起きた瞬間から、
新たな頂点にいる
自分の一日が始まります。

 

昨日にやり残した仕事や解決が
見えない問題でも
新しい一日の始まりと
共に変化しています。

 

その変化は明らかに判るような
劇的変化ではないかもしれません。

 

しかし、時間の流れを受けて状況は
変化しているものです。

 

仏教の言葉に諸行無常
という言葉があります。

 

この言葉を日常過ごす普通の
生活の中で捉えると、
「あらゆる物事や出来事は、
常に変化し続けている」
と解釈できます。

 

 

 

一々、細かく分析することは
ないかもしれませんが、
昨日の事は既に終わったこと。

 

心新たに、
再度立ち向かえば良いのです。

 

気が付かないでしょうが、
人の心の奥深くでも
新たな気持ちが芽生えているものです。

 

「日に新たに日々に新たなり」
という気持ちは、
自分の中にも、
周りにも自然と生まれているものです。

 

どのような難問であっても、
必ず答えは見つかるもの。

 

毎日が自分の頂点で、
毎日少しずつ変化していることを
自覚するのが
「日に新たに日々に新たなり」
という事なのです。

 

思考家 明徳義道 記す

第三者が理解する文章とは

 

古今の名作から
文章術を知る

 

きちんとした文章を書くには
やはりきちんとした文章を
読まなくてはいけない。

若い人に一番欠けているのは
そこではないかと僕は思います。

 

出典元
月刊致知 2021年3月号 P.18
「我が人生を導いてくれた古今の名作」
鈴木秀子氏との対談内での加賀乙彦氏の言葉 

 

LINE,メールに振り回され

 

現代はインターネットの普及により、
直接電話をせずに、
「Line」「メール」などで
必要な事柄を伝えて
互いに了解する連絡方法を
取ることが主流になっています。

 

このやりとりの前提には、
最低限必要な情報を
互いに共有していることから、
単純な単語単位の文章で
済ませることが出来ます。

 

この傾向は、
10歳代、
20歳代以上の老年男女で、
ある程度やりとりに
慣れている方々には通用するものです。
(一部、例外が存在しているものです)

 

そしてこの風潮は
ブログやSNSの世界でも,
当り前のように行われています。

 

仲間内であれば、
ある程度省略した文章でも
分かり合えるかもしれません。

 

しかし、全く関係のない第三者
ブログやSNSにアクセスして、
仲間内でしか分からないような文章を
眺めて共感できるかというと
そうとは限りません。

 

全くチンプンカンプンで即、
別のサイトに行くことも
十分あり得ることです。

 

三者は理解できない
文章とは

 

 

事前に前段階を理解している方が
分かる文章は存在します。

三者が読んで
理解できない文章も存在します。

 

「文章術」で最も難しいことは、
事前情報を理解していない方々に
始めて読んで頂いた時に、
理解してもらえる文章を書くことです。

 

書き手が良く勘違いすることの一つに、
「自分が知っていることを
他人も知っている」

誤解して文章を
アップロードすることです。

 

自分にしか分からない、
または少数の仲間しか分からない
文章ってものは、
状況を全く知らない人にとって
実に自分勝手な独りよがりの文章で、
読む気が失せていくものです。

 

誰が読んでも書き手のイメージが
100%伝わる文章というものは
存在しないにしても、
おおよその人が何となくわかる文章は
どうやって書けばよいのでしょうか?

 

基本は5W1H

 

基本は「5W1H」なのでしょうが、
その前にプロの作家が書かれている
小説、エッセイ、論文を数多く触れて
読み込んでいくことが大切です。

 

 

多くの書籍を読むことになれると、
いざ自分が何か一文を書くにしても、
それなりに体裁は整うものです。

 

そして名文に多く触れなが自らも書き、
書いたものをいきなり
アップロードするのではなく、
何度も推敲を重ねることが、
多くの人に理解される文章として
出来上がっていくものです。

 

一度書いてお仕舞ではなく、
何度も読み返すと、ここを直そう、
もう少し判りやすいように
書き換えようとする気持ちが
湧いてきます。

 

その事を繰り返すことで、
文章力が上がり、
誰が読んでも読みやすいと
感じさせることが出来るのです。

 

読む人の事を考える余裕もでき、
どうしたら良いか
工夫することが楽しくなっていきます。

 

良い書き手は、
多くの文章を読み込んだ過去を
持っているという事なんですね。

 

思考家 明徳義道 記す

 

 

お勧め書籍

 

 

 

安岡正篤に学ぶ 2 自分が生まれ変わるには

感謝する姿

感激する気持ちを持つ

人間の進歩というものは、(中略)
感動から始まる。

偉大な発明発見でも、
あるいは悟りでもそうです。

みんな感動がないといけない。

出典元

イースト・プレス刊
安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉
より 

感激する気持ちを持つ

安岡正篤師」のご著書
「照心語録」の一文で
「人間の性命
(持って生まれた性質や運命)は

慣性的且つ慢性的になると、
ダレて衝撃を与えないと
躍動しなくなる。」と説かれています。

 

 

安岡正篤師」は人間が更に
自らを向上させるために、
細やかな成功であっても
「感動する」感情や、
周りにとても良いことが起こった時に
湧き上がる「感激する気持ち」等の
大いなる喜びが伴った気持ちが
求められると言われております。

そして、
人類が生きていく社会の中で、
多くの発見と発明がありました。

もっとも偉大な発見や発明は
普段の生活の一部に
埋もれていました。

例えばニュートン
「引力の法則」を発見したのは、
木に成っていたリンゴが
地面の落ちたのを見て、
何故落ちるのかを考えた結果でした。

不満や疑問が
進歩を生み出す

 


何でもない事のように思われる事象を
やり過ごすことなく、
何故そのようなことが起きるのだろうと
疑問を持って解明しようと始めたことで
ニュートン「引力の法則」
導き出しました。

 

 

この事例は一人の天才が
成し遂げたことです。

日々発見

私たちでも、普段の生活の中で、
ちょっとしたことを見逃さず、
「何故なんだろう?」
と視点を変えることで
それまでの習慣化されたことが
改善される可能性があります。

チョット視点を変えて
無意識に行っていた習慣を見直すと
日々の出来事に新たな発見を
見出すこともあります。

習慣化されたことが改善され、
周りの人に役立つことを
成し遂げた時に得られる感動は、
自らの成功体験に繋がり、
更に向上しようとする気持ちが
起きてきます。

私たちの生活や社会構築は、
そのような疑問や不満から
どうしたら改善できるか
考えた先人たちの
不断の努力と諦めない気持ちから、
発展してきました。

一人の天才がや界に大きな影響を
与えたことは事実ですが、
人類の歴史の中では微々たるものです。

それよりも、凡人である私たちが、
「必ず出来る」という気持ちを持ち続け、
諦めなかったことの方が
はるかに多いのです。

最初は細やかな事から

 

 

最初から大きなことを目指さず、
細やかな小さいことから、
成功体験を積み上げ、
達成した喜びを心に刻み、
更なる向上を目指せば、
自分一人の感動が、
多くの人の喜びに繋がっていきます。

目標としたことが
出来て当たり前と思わず、
達成できたのは
自分一人の力ではなく、
周りの協力、
応援があってこそ完遂したのです。

最初は出来て当たり前の事でも、
達成した時は素直に喜び、
次に進むときは少し上を目指し
紆余曲折を乗り越え
目標に達成した時に
「感激、感動、感謝」が湧き上がり、
人としての人格が磨き上げられるのです。

人生を感謝感激感動で

 

 

人生は、「感激、感動、感謝」
繰り返していくことで
美しく明るい道を
歩き続けることが出来ます。

文明に影響を与えた天才、
文化に貢献した秀才、
人のために役立った凡才たちは、
弛まぬ気持ちで、
目標達成に邁進し、
「感激、感動、感謝」の中で
やり抜いたのです。

私たちも、
ちょっと頑張って継続すれば、
彼の人たちの様な
「感動、感激」
味わうことが出来るのです。

自分を信じて、
目標に向けてやり抜きましょう!

今頑張っている人たちを
応援いたします。

 

思考家 明徳義道 記す