心の金持ちになりたい、幸せな日々を送りたい、だから

日々の生活の中で心の金持ちになる為の心の在り方を考えています

自分の幸せに気づくとき

幸せに気づくには

人間の幸せとは自分の
思う通りになる事ではなく、

既に与えられたもので、
それが見えるか見えないかは
自分の心次第だと

気づかされるのです。

出典元
月間致知 2017年5月号 P.106
「人生を照らす言葉」
鈴木 秀子氏の言葉 

 

幸せがやってくる

「幸福」って向こうから
来るものではなく、
常に自分の生活の中に
存在しているのですが、
自分の周りを不満に思う気持ちが、
「幸福」を見逃しているのです。

 

日々の暮らしが滞りなく過ごせて、
2食または3食食べることが出来て、
毎月それなりに収入がある。

 

時にちょっとだけ贅沢が
出来る事ってそれだけで
「幸せ・幸福」だと思います。

 

幸せは空気と同じ

幸せになりたいとか、
老後は安寧な生活をしたいとか
思う事ってあると思います。

 

「幸せ・幸福」って
何だろうって考えると
実は空気みたいな存在で、
自分がその事に
気付いていないだけ
なのかもしれませんね。

 

空気を吸ったり
吐いたりしている時に
なんて
思いながら生きている人って
いないと思います。

無意識に呼吸をして
生命活動をしているだけのことです。

 

「幸せ・幸福」
空気と同じようなもので、
実は「幸せ・幸福」という膜に
包まれてるのに、
その事に気付いていなのです。

 

特に欲望が強すぎる人や
他人や環境が自分を不幸にしていると
思っている人は「幸せ・幸福」という
膜に包まれてることを感じないのです。

 

不平
不満
悪口
ひがみ
妬みに
深く埋もれている人の中には、
他人が不幸になっていく様を
みて喜ぶという精神構造の方もいますが、
その様な人は稀で逆にそのような人は
犯罪者に多く見られるタイプといえます。

 

「幸福感」を得る方法や行動は実に単純で
簡単ですが、いざ実行するとなると
邪な気持ちがどこからともなく
湧き上がって自分自身を
迷わせるものです。

 

「幸せ」になりたい自分がいるのに
それを邪魔する自分が
心の中にいるのです。

仏教では「一念三千」
という考えがあります。

 

簡単に言うと、
人の心の中には、
3000の部屋があって、
その一部屋ごとに
色々な気持ちが
収まっているのです。

 

やたらと欲望が強い気持ちや
他人妬む気持ちなどが
1つづつ別々の部屋にいて、
心の動き次第で色々な部屋と
繋がっているので感情次第で
一瞬のうちに表に顔を出すのです。

 

「幸福感」とは、
穏やかな気持ちで、
感謝することを
空気を吸うように
行う事で得られるものです。

 

もし邪な気持ちが一瞬顔を出しても
すかさず打ち消すことが出来れば、
「不幸」な気持ちに
引きずられることはなくなります。

 

斎藤一人さんが
話されている「天国言葉」
あらゆることに対して
感謝を口にする習慣が身につけば、
必然と「幸福」は訪れてくるでしょう。

 

例えば、レストランや
食事を提供する店で、
ウエイターやオーナーの方に
「有難う」を伝えることを習慣化する。

 

お金を払っているのだから、
提供するサービスを
受けることは当たり前
と思わない事です。

 

その場で触れた「ご縁」
気付きその事に感謝することは、
恥ずかしいことではないし、
「客だ!」とふんぞり返る
必要もありません。

 

満腹感を満たしてくれる
スタッフに「有難う」
といえる勇気を持つ
ただそれだけで「幸せ」
いつも自分を
包んでくれるようになります。

 

「我を強情に通さず、お互い様」
大事という事です。

 

思考家 明徳義道 記す

見返りを求める心と求めない心の違い

人間の芯のやさしさ

人間の真の優しさとは
見返りを求めない心。

見返りを求めるのは
優しさじゃない。

(中略)

人から言われて嫌なことは
人に言わない。

人からされて嫌なことは
人にしない。

人に何かする時は
見返りを求めない。

出典元
月刊致知 2017年5月号 P.44
「人間の孫のやさしさとは見返りを求めない心」
中本忠子氏の言葉 より

 

 

ギブアンドテイクより

 

「Give And Take(ギブアンドテイク)」
という言葉があります。

 

英語では「持ちつ持たれつ」
とか「公平性なさま」
「意見、情報のやり取り」
という意味で使われます。

 

日本語では、
他人に何かしらを与えたら、
お返しをするという
互助関係を維持する意味合いで
使われることがほとんどでしょう。

 

しかし、昨今日本では
無償で相手から何かしらを
貰う気持ちが強い人が
増えているようです。

 

あるSNSのグループの主催管理者が、
今まで読んできた書籍をほんの数冊、
無償で上げますという告知をしたところ
何十人も「ほしい」と
申し込んできました。

 

差し上げる書籍より、
希望者が多いため、
抽選で差し上げたのですが、
貰えなかった人の中では、
何が気に入らなかったのか
SNSのグループを
抜けた人がいました。

 

また、もらえなかったことに
不満を書き込んだ人もいました。

 

SNSのグループ主催管理者の
善意ある行為を
自分の思い通りにならなかったから、
不満をぶちまけるという行為は
三者から見て
気持の良いものではありません。

 

反対の書籍を頂いた方は、
SNSのグループ上で
感謝の言葉を書き込んだり、
お礼の手紙を出された方もいました。

 

頂いたことに感謝をするのが、
常識的と思うのですが、
不満を口にされるの如何なものかと
思ってしまいますね。

 

見返りを求める心

 

 

他人と共同作業を始める前から、
自分がしたことを相手に求める心は、
とても打算的で返ってきた見返りが
自分の望むことに合致しないと、
関係が悪化することがあります。

 

見返りを求める人の中には、
自分の行為に対して
2倍くらいの見返りを
求めて当然と思っている人もいます。

 

最初から、
見返りありきという考えでは、
付き合う人はどう思うでしょうか?

 

別の例では、
とある団地でのことですが、
棟内での人付き合いが頻繁で、
お隣上下階をよく行き来しています。

 

気軽にお菓子を持ち寄り、
世間話に興じていましたが、
余り頻繁に行われているので、
一部の方が、差し入れ頂く事と
お返しをすることに
次第に疲れてきて、
積極的に行う事を辞めました。

 

その為に一時期、
人間関係が悪くなりかけましたが、
その代わりに、
月1回の団地周りの掃除のときに
出てこれない高齢者の方の
代わりに倍以上働いたり
通路の照明電球が
切れていると無償で交換したり、
独居老人の通院の補助をしたりと
見返りを求めない善意ある行動を続け、
やがてその団地で
一目置かれる存在になりました。

 

その後何かあると相談にのったり、
団地の集会で改善提案をして、
住みやすい環境つくりに
貢献しています。

 

自分がされたら
いやだと思う事

 

 

自分がされたらいやだと思う事でも、
他人だから許してもらえるとか、
その事に気付かない
無神経な人がいます。

 

他人との良好な関係を
継続して行く上で
大事なことは、
「気配り」なのですが、
この気遣いが出来ない人が
増えてきているようです。

 

電車の中が混雑しているにも拘らず、
座っている人が足を組んで、
立っている人の服を汚していても
気づかないふりをする人や
アパートの1階の住人が、
時々朝5時位から大きな音で
音楽を流して近所迷惑を省みない
なんてこともあります。

 

2階や近隣の住民にとっては苦痛で
朝6時位から大声でケンカを
しているところもあるでしょう。

 

いくつか例を取り上げましたが、
無神経な人に共通していることは、
非常識で人が嫌がることや
不快に思う事に対して無神経です。

 

上記以外にも、
陰口をたたくのが好きな人もいます。

 

本人に向かって
はっきり言えないにもかかわらず、
陰で世間話をするように
陰口を言うのです。

 

その陰口に同調する人もいます。

 

「類は友を呼ぶ」ではないですが、
似た者同士はよくいるものです。

 

 

美しく生きる

この様な人に共通することは、
表情に品がなく、
卑しい顔つきをしています。

 

うわべは良い人のように
ふるまっていますが、
その本性が垣間見えた時に、
視線の動きや人品骨柄貧しく、
卑しい下卑た表情を
見ることが出来ます。

 

他人は見ていないふりを
していてもどこかで必ず、
卑しい人の言動を見ているものです。

 

「人品骨柄」を高め、
言動をつつましく、
卑しくしない事、
更に感謝する気持ちを忘れず、
持ち続けることで
「真の優しさ」
身に付けることが出来るのです。

 

自らを戒め、
周りの人の行いや言葉から
如何に人として
生きるかを学べるのです。

 

反面教師は
とてもありがたい存在として
反面教師の行動と真逆の事を行い、
自らの精神を鍛え高めていくことが
この世に生を
受けた者の使命なのです。

 

思考家 明徳義道 記す

前向きに生きる考え方

ものごとの捉え方

ある出来事をネガティブに捉えるか、
それともポジティブに
捉えるかによって、

見えてくる風景が
全然別のものになるわけで、

何でもポジティブに捉えていけば、
その後の人生も
大きく変わるんじゃないかと

いうのはいつも思っていました。

出典元
月刊致知2017年 5月号 P.56
対談「その時、リーダーはどう動くか」
佐光正義 氏の言葉

 

ポジティブとネガティブ

 

 

人は何かしらの壁や難題に
ぶち当たらなくても、
常日頃の心構えが
前向きか悲観的かで
あらゆる結果が
見えてくるものです。

 

例えば、ポジティブ(前向き)なら、
多少へこたれるような事でも
自分にとってプラスになる経験が
出来たと捉えるでしょうし、
ネガティブ(悲観的)な見方を
常にする人なら
「何をやっても良いことが起きない。」
「所詮自分はダメ人間」
決めつけてそれ以上の努力を
放棄するものです。

 

さらに突っ込んだ見方をするならば、
人は常に前向きで物事を捉えたり、
現状を変えずに
ぬるま湯的な生活環境に
その身を置いていることの方を
選ぶことをしたがるものです。

 

余程の苦痛を感じない限り、
多少の不満を持っていても
慣れ親しんだ状況を変えることを
望まない人が実は
とても沢山いるのです。

 

そしてそのような人が
好んでいるのが、
前向きな捉え方をした
成功者の言葉であり、
啓蒙書なのです。

 

だからと言って、
生き方を変えるには
プラス思考が良いと
理解していても
実践することもなく、
頭の中にとどめることも無く
記憶から消えていくのを
ネガティブな心持をする人は
気にもしません。

 

そして口から出てくることは
ただの不満であり、
愚痴であり、悪口なのです。

 

実は、
その事に気づいてないことが
本当は問題なのです。

 

マイナス思考が
生み出す望まない経過や結果、
良い事を自分から
遠ざけていることに
気付いていないのです。

 

ポジティブシンキングの訓練する

 

 

ものごとを常に悲観的
とまで言わなくても
プラス思考をしない習慣が
身についている人に、
行き成りポジティブな考え方を
しましょうと言っても
全くと言って良い位
できない事と思われます。

 

気持で判っても実際に
思考を変えることは
長年身についた考え方や
捉え方を変えることには、
相当の努力を必要とします。

 

よく言われている言葉に
「心を変えれば行動が変わる・・・」
がありますが、
ネガティブな心でいる事が
当たり前の状態でいる人が、
行き成り心を変えることはまず、
ほとんどの人は出来ません。

 

では、
どうしたら「心は変わる」のでしょうか?

 

私は、
「心を変える」ためにまずしたことは、
言葉使いを変えて見ました。

 

ポジティブな言葉が心を変える

 

 

ガサツな言葉使いを辞めて、
親兄弟、親族に関わらず
友人、会社の同僚、
さほど良く知らない方など
区別することなく、
少し丁寧な言葉使いを心掛けました。

 

そして、斎藤一人さんが
よく話されている
「天使言葉」を意識的に
使うようにしました。
(3年位前には
「天使言葉」ってありませんでしたが
自分なりに工夫してました)

更に感謝する言葉を
どのような時も使う事も
意識しましたね。

 

「有難うございます」って
言葉を声に出して
はっきり言う事で、
無用な摩擦がかなり減りました。

 

それと、毎朝歯磨きを
誰でもすると思うのですが、
洗面所の鏡に映る自分を見ながら、
自分をほめることも
忘れずに続けてみました。

 

この様な事を長年続けていると
自然と自分の周りに悪いことが
起きなくなっているような気が
してきました。

 

もしかしたら、
悪い兆候であっても
自分を鍛え経験を
増やすことなんだろうって
捉えていたので、
常に感謝でしたね。

 

この言葉使いを変える事から
始まったポジティブ思考になるための
訓練は今も続けていますが、
どんな窮地と思われる事でも
何となく解決していくので、
今の自分はとても
幸福な気持ちでします。

 

だからと言って
八方美人的な事はしません。

 

出来ない事や嫌な事は、
客観的な説明をして
お断りしています。

 

他人からいい人と
見られようとか
考えたことはありません。

 

断りかたも紋切型ではなく、
別の方法を提案して
理解を求めるようにしています。

 

だからなのかもしれませんが、
もめることもありません。

「言葉を変えると心が変わる」って
私はそう信じています。

思考家 明徳義道 記す

お腹と心が満たされていれば・・・

 

心身満足なれば

 

冬模様

 

人は食べんことにはイライラが募って
悪い方に向かってしまし、
逆におなか一杯になれば
悪いことは考えない。

 

おいしいものを食べて
おなかが満たされたら、

心まで満たされて
幸せな気分になるんよ。

 

出典元
月刊致知 2017年5月号 P.44
「人間の孫のやさしさとは
見返りを求めない心」
中本忠子氏の言葉 より

 

空腹が心を変える

 

 

「腹が減っては戦が出来ぬ」

30年、40年位前までは、
こんな言葉がいざという時に
使われていたものです。

 

腹が減っては、力も出ないし、
無駄にイラつくし、
やる気もそがれるものです。

 

心も同じで、
適度に満たされていない
飢餓状態でいると、
世間を妬んだり、
人を恨んだりしてしまう事があります。

 

この様な精神状態で、
悪い方向に突き進むと
良くない考えを思いついたり、
犯罪に繋がったりします。

 

その逆で、
おなかも心も満たされると、
腹も立たず、
イラつくことも無く、
やる気が出てきて、
気力も湧いてきます。

 

お腹がすいているけど、
食べるものがないとか
お金が無くて、
食べられないなどの状況に置かれ、
行政に相談しても見捨てられて
餓死される方もいます。

 

また、それ以外には万引きや
無銭飲食をする人もいます。

 

この様な軽微と思われる犯罪行為でも
繰り返して行うと、罪悪感が徐々に
欠落していき少しづつ、
犯罪行為がエスカレートしていきます。

 

最初は万引きや
無銭飲食だったものが、
置き引きや
乗り物盗をするようになり、
やがて人の家に侵入する窃盗や
強盗を繰り返していくようになります。

 

最悪な事は強盗した挙句
けがを負わせたり、
殺人に発展していく場合も
あります。

 

空腹を満たしたいだけの
欲求がやがて悪質な犯罪行為が
エスカレートしていくことを
最初の段階で止められれば、
人並みの生活を送ることが
出来るかもしれないと
考えるととても残念な気持ちに
なります。

 

最近の日本人はいかにも
正義を振りかざす

 

 

最近特に感じる事の一つが、
問題行動を起こした人を
インターネットを利用して、
「いかにも正義」を振りかざし、
当事者を追い詰める事です。

 

その追い詰め方は、
単なる間違った思い込みや
関係ない所にも及び
攻撃対象とされた方々は
深い心の傷を負ってしまいます。

 

そのやり取りを俯瞰していると、
「いかにも正義」
振りかざす人の心の貧しさが
見えてくる気がします。

 

そして、そのような人は心が
満たされていないために
イライラが募り、
誰かを攻撃して
正義感ぶりたいのだろうかと
疑ってしまいます。

 

心が満たされ、
感謝の言葉が息を吸うように
口から自然に出てくる人は、
そのようなことはしないものです。

 

そう考えると、
現代の日本人の何割かは
お腹も心も十分に
満たされていないんだろうなと
感じてしまいます。

 

最後に一言

 

50年、60年前の日本人と
現代の日本人を比較すると
今生きている日本人の心が
すさんでいるように思えるのは
老人となった私だけなのでしょうか?

 

少なくても、昔の日本人は
全く見ず知らずの人を
自殺するまで追い込むことは
しなかったものです。

 

現代人は、
インターネットを使い、
自分の名前を名乗らず、
口汚く無神経に
相手をなじり倒し、
徹底的に追い詰めています。

果たしてそれは、
人として許される事でしょうか?

 

不確かな情報を曲解して受け止め、
正義の名のもとに
人を苦しめる現代のやり方が、
社会や世間の
安寧をもたらすものではないはずです。

 

どうかこれを読まれた方々に
お願いすることは、
悪戯に不確かな情報に踊らされず、
冷静に判断してもらいたいと
願っています。

 

お腹が満たされ、
心に余裕ができている人は
無神経に人を
いたぶることはしないはずです。

 

心を満たし、
幸せな気持ちを抱かれ、
「人の和」を今一度考え、
慈悲ある言葉を
掛けて頂くことを
切に願うばかりです。

 

思考家 明徳義道 記す

問題が起きても解決の道は見つかる

解決策を考え行動する

 

 

 

人間は生きていると
色々なピンチに遭遇します。

しかしそういう時に
逃げるのではなく、
自分から行動を起こして
立ち向かう事が
大事だと思っているんです。

それがすべてのスタートだと。

(中略)

自分で解決策を考え、
行動することを習慣づけていく、
そうすれば必ず方法は
見つかると確信しています。

出典元
月刊致知 2017年5月号 P.40
「まず動く、そこから道は開ける」
櫻井理氏の言葉 より

 

この言葉から教わること

 

問題が起きるという事は、
1つに自分の行動から発生する場合。

 

直接の関わりが無くても、
関係ある他者による何らかの要因から
責任を負わされる場合など。

 

問題が起きる原因は色々あります。

 

原因となるものはその時の状況や
過去から現在に至るまでの間で
想定外、もしくは
想定内の出来事によるものです。

 

想定内であれば、
すでに対策を検討済であれば、
それほど慌てることも無く、
対処することが出来ます。

 

しかし想定外の場合は、
大抵の人は驚きと同時に
すぐに解決しなければという
考えに振り回され
慌ててしまうものです。

 

果たして慌てた心境で
的確な解決策を見出すことは
ほとんど不可能で、
全く解決に至らないのではないかと
悲観的になり、見当違いな方向に
突っ走り更に状況を
悪化させることがあります。

 

問題を解決に向かわせる

 

 

もし、何らかの問題が起きても冷静に
状況を受け止めることが出来たなら、
その問題の半分は解決に向かう準備が
できていると言えます。

 

更に大事なことは、
いかなる問題が起きても
相手側からの連絡や通知を
待つのではなく、
自分から相手にアプローチを掛け、
自分には
「問題を解決させる意思がある」
と明確に伝えることです。

 

起きてしまった問題を相
手側に任せると自分にとって
納得のいかない条件を
提示されるものです。

 

しかし自分から相手側に
自分が出来る範囲での
解決策を提示すると、
相手側も考慮検討してくれます。

 

稀に自分の提示した解決策を
否定される場合もありますが、
時間をかけ説得し続けて、
妥協案を練り上げて
互いが納得する形に持っていくことは
不可能ではありません。

 

あくまでも、
何らかの問題が発生したら、
解決するための主導権を
相手側に依存するのではなく、
自分が握る必要があります。

 

そうすることが、
自分の精神的ストレスを軽減し、
解決までの道筋が明確に
見えてくるからです。

 

しかし自分から動くという事は、
馴れない内はとてもきつくて
辛いものです。

 

その苦痛を敢えて
乗り越える勇気を
持つことが出来れば、
将来どのような問題が起きても、
慌てることなく、
沈着冷静に解決策を
考える時間が作れます。

 

特に金銭の貸借に関しては、
こじれると事件化することが多いので、
自分としての解決案を出来るだけ早く
相手に伝えることです。

 

相手も、問題を解決する意志が
あると理解すれば、
解決までの時間が
掛かるものであっても
対応してくれます。

 

その為には、
提案した解決策通り、
きっちり、遅れることなく
行動しなければなりません。

 

この繰り返しが、
自分の社会的な信用に繋がり、
評価が上がっていきます。

 

結論として

問題が起きたら、
自分から動く習慣をつける事が、
問題を大きくしない
という事なんです。

 

自分に振ってきた問題が、
不治の病や難病でない限り
必ず解決できる道は見つかるのです。

 

そして、自分には
問題を解決させる力が
あると信じることです。

 

思考家 明徳義道 記す

 

おススメ書籍

 

問題は誤りを気付かせるために起こる

 

何故問題が起きるか

 

 

問題が訪れた時
それをどう受け止めるか、

どう動くかが
大切だと思うのです。

 

いまは起こる問題に感謝して
解決の努力をすれば、

絶対に超えていけるものだと
確信しています。

 

幸せになるために問題が起こる、
その考え方、
その行動、
その仕事の仕方、

その経営の仕方が
間違っているよ、

問題を通じて
教えて頂いていると
思うのです。

 

そう考えると、そんなに問題も
起こらなくなってきました。

 

いや起こる問題に
感謝するようになって、

問題と思わなくなったのかも
しれません。

 

(中略)

 

今幸せでないというのは、
どこか考え方や行いが
間違っていると思うのです。

 

相手の立場になって
ものを考えると

大体そこに答えがある。

 

人間行き詰るのは、
結局自分の事ばかり
考えているからで、

逆に相手のことを
一生懸命考えていたら、

幸せになっていくと思うんです 。

 

出典元
月刊致知 2017年5月号 P.39
「靴を修理して履く文化を創る」
酒井宏明氏の言葉 より

 

この言葉から教わる

 

問題が起きた時に自分が
どのような状況下にいるかで
受け止め方は違うものです。

 

何らかの予兆を感じていたり、
発生前から将来の展開を事前に
予想していた時なら、
さほど驚くことも無く、
心の準備と対応策が
練られているでしょうから、
粛々と行動するだけです。

 

しかし、心の準備もなく、
将来的な展開の予想も出来ていないと
驚天動地のように驚きと対応策を
考え付くことも無く
ただ、ただ「どうしよう!」と
右往左往するばかりでしょう。

 

想定外の問題が起きた直後に態度、
行動でその人がどのような人生を歩み、
どのような精神状態か分かるものです。

 

ひとまず深呼吸をし、
心を落ち着かせようと
努力される方がいる反面、
自分に何の責任もないと
他人のせいにする人もいるでしょう。

 

一瞬頭が真っ白になることも
あるかもしれませんね。

 

しかし、自分に起こった問題の殆どは、
冷静に状況を判断し、
今自分のできることを
やるべきことを思いつければ、
問題の半分以上は
解決したも同じことなのです。

 

余程悪質な人に騙されて、
命を差し出すような問題は、
通常あまり起きない事です。

 

しかし、
自らの経験不足や視野が
極端に狭い故の思考不足、
三者に相談できない環境や
自身の心の狭さから
追い詰められることも起きています。

 

普通の社会生活を
営む上で起きる問題は、
実は解決できる者ばかりなのです。

 

自分はダメな人間だとか、
世間を恨んで社会に偏見を
持つことは愚かしいことなのです。

 

人生は常に感謝の気持ちを持ち
世間に対してお互い様という気持ちで
会社の同僚やご近所との
付き合いを重ねていれば、
困っている時に、
手を差し伸べてくれる人や
アドバイスをしてくれる人が
現れるのです。

 

問題は自分を
正してくれる教え

 

 

問題が起きても、
それが自分の行動や
考え方を正してくれる一筋の灯と
捉えれば悩み、考えることが
なくなります。

 

すんなりいくだろうと思ったことが、
予定外に色々とトラブルが起きた時、
その行動や計画に何らかの見落としが
あるのかもしれません。

 

問題が起きるというのは、
そのような行動、計画の目論見の
甘さも原因の一つです。

 

また、問題が生きることを
敢えて歓迎すれば、
どのような行動や
計画遂行で起きたと判ると
失敗と思ったことが、
経験や知識に繋がり、
問題を問題として捉えることが
なくなります。

 

問題が起きた時に
「嫌だなぁ」と嘆くより、
問題に感謝をすると問題が
少なく感じるようになります。

 

幸せを求めても
得られない問題について

 

 

問題の捉え方と同様に、
自分が幸せと感じられないことも
自分のことしか
考えていない結果と言えます。

 

この社会は、
他人との関わり合い方で成立しています。

 

他人は利用するだけの存在としか思わず、
只利用するだけで、
利用価値がなくなると
付き合う事を辞め、
排除しようとする
自分本位な人が増えてきています。

 

この様な人には悪因悪果が起きて、
周りから嫌われるようになります。

 

今幸せではないと感じるのは、
この様な自己中心的な考えや
行動が間違っているのです。

 

理想を言えば、相手の立場を尊重し、
その人の立場になって考えてみる。

 

そこから得た答えが、
とても大事なことです。

 

視点を変えて物事を見ると
今まで見ていたかもしれないけど
見ていない事柄が
分かるようになります。

 

そこに自分の幸せのヒントが
見つかることもあります。

 

人が問題に行き詰るのは周りを見ず、
自分のことばかりを考えるからです。

 

良く分かる例として、
最近ニュースにも取り上げられる
撮り鉄」の迷惑行為です。

 

線路わきの電柱によじ登る。
他人の土地に無断侵入する、
挙句の果て
電車のいい写真を撮るために、
その人に土地では得ている木や
花をバッサリ切る等
自分の欲を満たすために
どれほど迷惑を掛けるかなんて
考えず無視する行為は、
全く自己中心的でひどいものです。

 

自分のことばかりを考える人は、
このような「撮り鉄」と
同じなのです。

 

もし、この真逆のことを
していたらどうでしょう。

 

相手のことに一生懸命になる。

 

もしその行為を繰り返し続け、
気付かないうちに自分の心が
とても豊かで幸福感に満ちるとしたら、
人に悪く言われるより、
はるかに充実した人生が
送れると思いませんか?

 

自分の人生の幸せって
そのような事の繰り返しなんです。

 

「己忘利他」
「自他共栄」

意識して行動してみてください

 

問題が問題として
捉える事がなくなるでしょう。

 

思考家 明徳義道 記す

 

参考書籍

 

 

 

高杉晋作の志に学ぶ

幕末の志士、高杉晋作

 

 

人生は志を曲げようとか、
潰そうとする勢力との戦いであって、
多くの人はその中で妥協しながら、
等身大の自分を見失っていくものです。

しかしそのほうが、
世間をうまく生きていく上では
楽に違いありません。

晋作のような生き方は
確かにしんどいんですが、

損得や己の生死をも
度外視した志の表明が、

数々の歴史の転換を
生んできたことは事実です。

遠く幕末に生きた晋作から
受け継ぐべきことが

あるとすればこの部分であるはずです。

出典元
月刊致知 2017年5月号 P.33
一坂 太郎 氏の解説より

 

注釈
高杉晋作は江戸時代の末期に、
長州藩尊王攘夷の志士として
活動しました。

奇兵隊を創設し、
徳川幕府の倒幕に尽力を注いぎましたが
道半ばで病により死去しました。

生年月日:天保10年8月20日
    (1839年9月27日)
没年月日:慶應3年4月14日
    (1867年5月17日)

高杉晋作についてもっと詳しく
知りたいと思われる方は
Wikipediaをご参照ください。

 

自分の人生気楽に行きたいか

 

 

親の庇護から抜け出し、
社会人として生きていく時、
その前後において、
自分の好きな事だけをして
生きて行きたいと思うのが
2000年代に入ってから
顕著にみられる傾向のようです。

 

 

仕事をする為に出かけている
僅かな時間を隙間時間に
スマホの世界に入り込み、
仕事に関係ないことにのめり込み
束の間の現実逃避をしている姿は、
通勤電車内で多く見られる傾向です。

歩きスマホや自転車、
車に乗りながらも同様。
(運転中にスマホ操作は
違反になるのでおやめください)

人間として社会生活を
構成する一員でありながらも、
仕方なく生きて行くために仕事をする。

そんな人が増えているのも事実。

社会人として上下関係の苦労は
したくないと逃げ腰になったいる人
または、精神を病んでいる人
適当に誤魔化してその場逃れを
している人が実に多い。

Youtuberで稼げれば、
好きなことして金持ちになれると
深く考えもせずに迷惑動画を
アップロードする若輩たち。

 

 

実際はフォロワーも殆ど付かず、
動画再生回数も伸びず、
その責任を見てくれない一般人に
なすり付ける馬鹿者もいる。

更に最悪な事は、
迷惑系と言われる違法行為を
喜々としてアップロードし、
炎上をたくらむ小悪党もいる。

この世の中、
自分の好きなことだけをやって、
有名になり金持ちを
夢見る浅はかな人であふれている。

成功を手に入れるための精神力が
欠如している結果なのである。

如何に世間のために生きるか

 

人が志を持つことは、
とても良いことなのですが、
その志をいつまで持ち続けられるか、
人は常に試されています。

99.999%以上の人が
思い描いていた願望や志
目標を達成できる人は、
1/1000、
いや1/10000ぐらいしか
いないのです。

何故ほとんどの人が途中で諦め、
挫折するのでしょうか?

それは周りに流されたり、
周囲から強い反対に合ったり、
自分が変節していくからです。

なにも逆風の中を突き進むより、
風に押されて生きて行くほうが、
苦労は少なくて済むし、
他人に責任を押し付けやすいからです。

現代人を蝕む責任逃れ

現代人の悪癖として、
責任を取りたがらない傾向があります。

10代後半や20代前半なら、
責任を追及されることは
少ないのですが、
20代半ば以降は責任が付いて回ります。

しかし現代の日本人は心が弱いため、
責任逃れに走ってしまう人が多い。

腹を括って責任を取れば、
自身の貴重な経験に
なるかもしれない事をしないのです。

その様な生き方をしていると
年を取る度に厄介な人と烙印を押され
信用を失っていきます。

厄介なことは特にお年寄りが
この様な精神状態だと
必ず問題が起きます。

単に切れ易いため
面倒なクレーマーになるのです。

そしてその責任から逃げる性質を持った
40代、50代が後ろに
控えているのが現状です。

この様な嫌な性質を持たない為には
敢えて責任を取る訓練を
若いうちにしておかなければなりません。

心を鍛えれば、
志が折れることはないのです。

 

人の本能には、
精神のバランスをとるために
保身に走る傾向があります。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
という諺があります。

自分の命の危険を顧みず、
敢えて犠牲にする覚悟で臨めば、
危機を突破し物事を
成就できるという意味があります。

更にそこに、「忘己利他」
精神が加味されれば、
志が予想外に早く達成できることも
あります。

現代人は自己保身が強く働くため、
損得を度外視したり、
身命を投げ出す勇気を持っていません。

 

名を成した成功者にならなくても

世にいう成功者として
名を成した人には、
「世の中、人のため」
という理念・覚悟がありました。

松下幸之助氏」
稲盛和夫氏」
など
著名になった成功者は
「苦労を楽しんで」
世のために如何に動くかを考え続け
実践し明確な形として示しました。

時代に名を残したいと思わなくても、
自らの志を実現するためには、
世の中にどれだけの価値を差し出せるか
というような理念
大義を志の底辺に据えて、
ただひたすらに
頑張るしかないのです。

ただ一度の人生を思うように
生きるためには、
敢えて周りに同調することなく、
毅然と一人荒れ野を行くような
強い精神を持ち続け、
苦労は自分を成長させる薬と
前向きに捉え、
遮二無二生きて行くことです。

 

古から世の中は〇〇〇〇〇もの

 

おもしろきこともなき
世をおもしろく

この句は高杉晋作
辞世の句と思われています。

江戸時代末期ですら、
食って寝て仕事しての生活は
面白くない事だったのかもしれません。

現代も同様でしょう。

何も目的もなく
社会に挑戦するような志もなく、
適当に仕事を頑張っているふりをして
給料をもらい、
時に社内の人間関係をグチり、
無為に時間を過ごしていれば、
それは実に
つまらない人生と言えます。

ただ一度の人生を
「面白き世」にするには、
発憤するしかないのです。

但し犯罪で名を残すことはいけません。

それは家族身内全体を
不幸に陥れます。

それより名も知られなくても、
自分の周りが少しでも
平和で穏やかな暮らしで
過ごせるように近隣奉仕を
目指したほうが、
幸福な時間を過ごせるのです。

まずは、自分の周りの家族のために
ちょっと苦労してみませんか?

思考家 明徳義道 記す