心の金持ちになりたい、幸せな日々を送りたい、だから

日々の生活の中で心の金持ちになる為の心の在り方を考えています

見返りを求める心と求めない心の違い

人間の芯のやさしさ

人間の真の優しさとは
見返りを求めない心。

見返りを求めるのは
優しさじゃない。

(中略)

人から言われて嫌なことは
人に言わない。

人からされて嫌なことは
人にしない。

人に何かする時は
見返りを求めない。

出典元
月刊致知 2017年5月号 P.44
「人間の孫のやさしさとは見返りを求めない心」
中本忠子氏の言葉 より

 

 

ギブアンドテイクより

 

「Give And Take(ギブアンドテイク)」
という言葉があります。

 

英語では「持ちつ持たれつ」
とか「公平性なさま」
「意見、情報のやり取り」
という意味で使われます。

 

日本語では、
他人に何かしらを与えたら、
お返しをするという
互助関係を維持する意味合いで
使われることがほとんどでしょう。

 

しかし、昨今日本では
無償で相手から何かしらを
貰う気持ちが強い人が
増えているようです。

 

あるSNSのグループの主催管理者が、
今まで読んできた書籍をほんの数冊、
無償で上げますという告知をしたところ
何十人も「ほしい」と
申し込んできました。

 

差し上げる書籍より、
希望者が多いため、
抽選で差し上げたのですが、
貰えなかった人の中では、
何が気に入らなかったのか
SNSのグループを
抜けた人がいました。

 

また、もらえなかったことに
不満を書き込んだ人もいました。

 

SNSのグループ主催管理者の
善意ある行為を
自分の思い通りにならなかったから、
不満をぶちまけるという行為は
三者から見て
気持の良いものではありません。

 

反対の書籍を頂いた方は、
SNSのグループ上で
感謝の言葉を書き込んだり、
お礼の手紙を出された方もいました。

 

頂いたことに感謝をするのが、
常識的と思うのですが、
不満を口にされるの如何なものかと
思ってしまいますね。

 

見返りを求める心

 

 

他人と共同作業を始める前から、
自分がしたことを相手に求める心は、
とても打算的で返ってきた見返りが
自分の望むことに合致しないと、
関係が悪化することがあります。

 

見返りを求める人の中には、
自分の行為に対して
2倍くらいの見返りを
求めて当然と思っている人もいます。

 

最初から、
見返りありきという考えでは、
付き合う人はどう思うでしょうか?

 

別の例では、
とある団地でのことですが、
棟内での人付き合いが頻繁で、
お隣上下階をよく行き来しています。

 

気軽にお菓子を持ち寄り、
世間話に興じていましたが、
余り頻繁に行われているので、
一部の方が、差し入れ頂く事と
お返しをすることに
次第に疲れてきて、
積極的に行う事を辞めました。

 

その為に一時期、
人間関係が悪くなりかけましたが、
その代わりに、
月1回の団地周りの掃除のときに
出てこれない高齢者の方の
代わりに倍以上働いたり
通路の照明電球が
切れていると無償で交換したり、
独居老人の通院の補助をしたりと
見返りを求めない善意ある行動を続け、
やがてその団地で
一目置かれる存在になりました。

 

その後何かあると相談にのったり、
団地の集会で改善提案をして、
住みやすい環境つくりに
貢献しています。

 

自分がされたら
いやだと思う事

 

 

自分がされたらいやだと思う事でも、
他人だから許してもらえるとか、
その事に気付かない
無神経な人がいます。

 

他人との良好な関係を
継続して行く上で
大事なことは、
「気配り」なのですが、
この気遣いが出来ない人が
増えてきているようです。

 

電車の中が混雑しているにも拘らず、
座っている人が足を組んで、
立っている人の服を汚していても
気づかないふりをする人や
アパートの1階の住人が、
時々朝5時位から大きな音で
音楽を流して近所迷惑を省みない
なんてこともあります。

 

2階や近隣の住民にとっては苦痛で
朝6時位から大声でケンカを
しているところもあるでしょう。

 

いくつか例を取り上げましたが、
無神経な人に共通していることは、
非常識で人が嫌がることや
不快に思う事に対して無神経です。

 

上記以外にも、
陰口をたたくのが好きな人もいます。

 

本人に向かって
はっきり言えないにもかかわらず、
陰で世間話をするように
陰口を言うのです。

 

その陰口に同調する人もいます。

 

「類は友を呼ぶ」ではないですが、
似た者同士はよくいるものです。

 

 

美しく生きる

この様な人に共通することは、
表情に品がなく、
卑しい顔つきをしています。

 

うわべは良い人のように
ふるまっていますが、
その本性が垣間見えた時に、
視線の動きや人品骨柄貧しく、
卑しい下卑た表情を
見ることが出来ます。

 

他人は見ていないふりを
していてもどこかで必ず、
卑しい人の言動を見ているものです。

 

「人品骨柄」を高め、
言動をつつましく、
卑しくしない事、
更に感謝する気持ちを忘れず、
持ち続けることで
「真の優しさ」
身に付けることが出来るのです。

 

自らを戒め、
周りの人の行いや言葉から
如何に人として
生きるかを学べるのです。

 

反面教師は
とてもありがたい存在として
反面教師の行動と真逆の事を行い、
自らの精神を鍛え高めていくことが
この世に生を
受けた者の使命なのです。

 

思考家 明徳義道 記す